イメージからの自由
「〇〇は、こんなひと」
自分や他者に何か固定したイメージを持たないでいることって難しいけれどとても大切なことなんだと感じます。
悪いイメージはもちろんのこと、良いイメージでさえ、それを持ったり持たれたりした瞬間から自由でなくなってしまう。
私たちは常に変化するエネルギーなのだから、自分自身にも相手にも変化を許し続ける方が自然に違いない。
互いをイメージで縛りあわなければ期待を裏切ったり裏切られたり、失望したりされたりすることもなければ「どんな風に思われているだろう」「こんな風に思われているんじゃないかしら」と怯えることもなくなる。
「あなたってこういう人、こんな所あるよね」と決めつけられて「そうじゃないんだ」と言い訳したくてモヤモヤした経験ありませんか。相手が目上や両親の場合は「私のことを思って言ってくれているのだから」と無理に吞み込もうと葛藤したり、言われたままをレッテルのように自分自身に張り付けてそれに縛られて苦しんだ経験がある人もいると思います。
私という存在が光も影も全てをもった変化し続ける全体であることを思えば、その一部分を切り取られることが違和感でしかないのは当然ですよね。
宇宙はそんなみみっちい判断はしないし、いつも全肯定の祝福しかおくってこない。
固定したイメージで見ることからも見られることからも解放されて、互いにイメージからも自由だと了解しあえる関係でいられたらのびのびする。
自然体でその時々の自分らしさを生きられる。
そんな素晴らしい関係性も風の時代なら可能なのかもしれないと感じます。